岩部保多織本舗 (サンプル)

※以下は、SAMPLE記事です。実際に募集はしておりません。 香川県の伝統工芸品である保多織。日本に残る唯一の織元の岩部保多織本舗では一緒に働いてくれる人を募集しています。職場にお伺いしてお話を聞きました。 保多織とは?いつまでも丈夫なことから「多年を保つ」という意味で命名された香川県の織物です。肌ざわりの良さと通気性や吸水性にすぐれていることから、広く愛されてきました。その歴史は、1689(元禄2)年高松藩主・松平頼重公から幕府への貢献を目的に命を受けた、織物師・北川伊兵衛常吉によって創られた絹織物に始まりました。 明治維新後、北川家と姻戚関係にあった岩部家初代・岩部恒次郎が、絹から綿中心に切り替え、同時に機械化も進め、その用途を広げてまいりました。 「緩やかな時間が流れる職場」 岩部卓雄さんは香川県指定の伝統工芸士だが、その肩書きに固執せず、粛々と理想の保多織を追求している。「私はもう40年以上も織り続けていますからね」という岩部さんの穏やかな表情や語り口調から、ものづくりへの愛情が伝わってきた。店と作業場が併設する職場へ取材に訪れたのは、14時ごろ。奥の部屋では女性が二人、ミシンでの縫製作業に没頭していた。手を動かし続けているのだが、作業場に漂う空気は緩やかだ。岩部さんの人柄が、職場に反映されているのだろう。 入口の自動ドアが開き、女性が入店してきた。「こんにちわ。今日も良い天気ですね。先日買った服を友人にあげたら、喜んでくれたので、また送ってあげようと思って、同じのを買いにきました」岩部さんはにこやかに返答した。「良かったです。そう言ってもらえるのが、私の幸せです」 「伝統技術で、自らの手で伝えるという役割」 江戸時代では限られた身分にだけ親しまれていた保多織は、明治時代に庶民にも知れ渡るようになった。高価な絹だった原材料が、綿へと変わり、讃岐の庶民や農家にその技術が流布した。それから保多織は大きな進化を果たす。各々が独自に研究を重ね、経験や知識を共有し、また新たな織り方を試していく。その反復が、保多織の品質を高めていったのだ。「織り方や道具は、江戸時代から代々継承されながら徐々によくなってきました」と岩部さんはいう。伝統技術は変わることを悪としない。この瞬間も進化し続けている。「様々な織り方を試しましたが、私が最初に習った織り方に勝る方法はみつかりませんでした。だから技術はそのままに、用途を広げ、染色やデザインを工夫するようにしています」 「世界に目を向ける将来性豊かな業界」 時代にフィットした、役に立つものを作りたいと岩部さんはいう。「ストールや、赤ちゃんのパジャマ、ワンピースなど、時代に合ったデザインと使用方法を、従業員とあれこれ相談しながら模索しています。コロナが流行してからは、マスクも作り、県外の人からの注文もあります。つけ心地が良いと喜んでくれていますよ。東北の震災の時も、保多織のパジャマなどを、支援物資として送りました」 保多織を通じて世の中の役にたちたいという言葉は、偽りのないものなのだろう。お客が自分で織った布を手に取り、喜んでいる姿を想像すること。それが、岩部さんの仕事のやりがいだという。「うちは働いている人たち全員がデザイナーであり、技術者。だから思いついたアイディアを、すぐに形にできます。たのしいですよ。うまく出来上がった時の達成感は、例えようのないほど、爽快なものです」 これからも、岩部保多織本舗は、伝統と革新のあり方を模索してゆく。そのために新たな織り手を必要としている。仕事の内容は、多岐にわたる。縫製、デザイン、販売…。そのどれもが、伝統を後世に残す意義のある仕事だ。 現在、日本の伝統工芸は世界中から注目を浴びている。日本の技術というブランドは武器となるが、世界中の人に保多織に親しみを持ってもらう方法を模索するのが、技術を受け継いだ私たちの世代の仕事なのだろう。その意味で、世界をマーケットに活躍できる将来性が豊かな業界でもあるし、同時に若い人の感性が必要とされている。岩部保多織本舗での仕事に興味がある方は、ぜひご連絡を。 Recruit (Sample) 募集職種縫製、デザイン雇用形態正社員(期間の定め無し)※試用期間(6ヶ月) […]

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